2000年10月1日日曜日

企業と倫理と集団と個人

アリを注意深く観察した人によるとせっせと働いているかに見えるアリの群も本当に働いているアリは全体の2 割にしか過ぎず残りの8 割のアリはほとんどさぼっているとのことだ。全員を働かせようとして働くアリだけの群をつくっても結果は同じ事でその中の8 割がまた怠けはじめるらしい。逆に働かないアリばかりを集めると今度はそのうち2 割が働き出すという。「群」の本能なのであろう。

自然の摂理であるならば人間社会にも当てはまるかも知れない。でも人間はアリより頭がよいのでこの2 割という数字を少しでも引き上げて全体の生産性を上げるべくいろいろ工夫がなされてきた。ひとつのやり方は単なる「群」を組織化し規律を高めひとつの目標に向けて邁進する運命共同体化するものだ。

これはどうも最初はユーラシア大陸の軍隊ではじめられたようで、ローマの亀甲歩兵軍団は、その組織力とチームワークでヨーロッパ全土を制覇した。ベンガルのプラッシーでは、整然と隊伍を組んだイギリス東インド会社軍は、人数は数倍だが烏合の衆に過ぎなかったムガール軍を殲滅しイギリスのインド支配を確実にした。日本においても、個人プレーしかできない鎌倉武士団は集団戦法を採る元軍に全く歯が立たず危うく征服されるところであった。

なぜ組織化された軍隊は強かったのか。国際政治学者の亡き高坂正堯によれば、密集隊形をとる軍隊の強さの秘密は兵士達が決して「大義」などという高尚な目的の為ではなく「肘と肘を付き合わせドラムの響きとともに前進する隣の仲間を裏切らないため」だけに超人的な勇気を発揮するからだそうだ。つまり集団主義のドライビングフォースはまさに組織体と仲間への忠誠であり、それは正義とか倫理などの普遍的な価値観より優先されるということなのである。

ここに問題が生じる。この点をいちはやく指摘したのが夏目漱石である。漱石は「私の個人主義」と題した講演(大正3 年、於学習院)のなかで「国家的道徳というものは個人的道徳に比べると、ずっと段の低いものである」と述べ、人間は集団となるとどうしても徳義心を失いがちであるからこそ個人主義が重要であると説いたのだった。

昨今のたび重なる企業不祥事は社会に企業倫理の問題を提起している。多くの企業でコンプライアンス・システムの制度化が検討されているが、集団の本質に触れた漱石の指摘は傾聴に値するだろう。漱石は続いて、この集団主義と個人主義という二つの主義は矛盾するものではないとも話している。しかし「この点をもっと詳しく述べたいのだが時間がない」とそれ以上は論を進めなかった。その後すぐ漱石は死んでしまったので我々は「もっと詳しく」聴けないままでいる。だから我々は自分たちでこの「解」を見つけるべく努力しなければならない。

(橋本尚幸)

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